
沖縄の暮らしや魅力を紹介している「なびんちゅ」です。
この記事をご覧になっている方の中には、「ないちゃー」と呼ばれて、なんだか嫌だな、苦手だな、とモヤモヤした気持ちになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。
実は沖縄で使われる「ないちゃー」という言葉、その背景にはさまざまな歴史や地域意識が影響しています。
ここでは、「ないちゃー」をはじめ「うちなーんちゅ」や「寄留民(きりゅうみん)」といった言葉が、
どのような意味をもって使われているのか、
気をつけておきたいポイント、
そこに込められた沖縄独特の地元意識について、
私自身の体験も交えながらお話ししたいと思います。
沖縄の生活や文化に興味がある方はもちろん、これから沖縄に移住しようと考えている方、あるいは沖縄出身の人と日常的なお付き合いのある方にも、少しでも参考になる内容をお届けできれば幸いです。
1. 「うちなーんちゅ」と「ないちゃー」とは
一方で、「沖縄以外の地域」から来た人のことを「ないちゃー」と言うことがあります。「本土の人」「県外の人」と言いたいときにも、「ないちゃー」と表現されることがあるため、耳にしたことがある方も多いでしょう。
この「ないちゃー」という言葉は、言う人・言われる人によって感じ方がまったく違います。
昔から使われている地域の人にとっては「あいさつ程度」「相手にフランクに話しかけるための言い方」という認識もあれば、呼ばれた本人にとっては「区別されている気がする」「差別に近い響きを感じる」など、少なからずネガティブな印象を持たれることがあります。
沖縄の人は、地元愛や地元意識が強い方が多く、これは、よい面も悪い面あると思っています。
特に沖縄の人々は、地元愛が強い方が多く独自のアイデンティティを自然と育んでいます。
その結果、「うちなーんちゅ」としての自負心が強い方が多い一方で、他府県から来た人を「ないちゃー」と呼ぶことで、一種の「仲間外れ」感を作り出してしまう場合があります。
2. 私が「ないちゃーか?」と聞かれた体験
私自身は、生まれも育ちも沖縄です。
いわゆる「うちなーんちゅ」に分類されますが、名字が沖縄本島内になく、学生の頃はよく「ないちゃーなの?」と聞かれることがありました。
私の家系は「曽祖父が県外の離島出身で、祖父の代からずっと沖縄に住んでいる」という状況だったのですが、それを説明しても「じゃあ、ないちゃーだね」と言われてしまう経験がありました。
子どものころは純粋に「なんで?私は沖縄でずっと暮らしているのに。」と不思議に思いましたし、どこか傷つく気持ちもありました。
見た目がどうこう、言葉がどうこうではなく、名字だけで「ないちゃー」扱いされるのは寂しかったのです。
ですが、社会に出てからは、むしろ珍しい名字のおかげで
「すぐに名前を覚えてもらえるし、話のネタになるからいっか」
と考え方を切り替えられるようになりました。
こうした体験は人によって大きく差があります。
私のように「気持ちを切り替えられる」タイプの人もいれば、「なかなか割り切れない」「呼ばれるたびに疎外感を覚える」という人もいるでしょう。
単に地域の違いを表すための言葉でも、「ないちゃー」と言われることで心がチクっと痛む人がいるのも事実なのです。
3. 「ないちゃー」の使い方と地域の人の思い
私は社会人になって県内の様々な地域で年配の人と交流する機会が増え、
「ないちゃー」という言葉を発する側には、悪気なく「相手と打ち解けたい」「話しかけるきっかけを作りたい」という意図で使っている人も多い印象をもつようになりました。
特に年配の方などは「ないちゃー」という言い方そのものが当たり前で、「差別的なニュアンスを含んでいる」とすら意識していない場合もあるのです。
実際、私が地域住民と交流するイベントに参加したとき、ある70代の方が「どこから来たの?ないちゃーねぇ?」という具合に、声掛けのきっかけとして使っていました。言われた当人がどう感じるかはケースバイケースですが、少なくとも「悪意や敵意を込めてはいない」ということは分かりました。
表現としてはストレートすぎるかもしれませんが、初対面で出身地や名前を聞く流れで、「ないちゃーは話題にしやすい」といった感じで、挨拶程度に言われることが多かったです。
4. 沖縄の歴史と戦後差別の名残り
一方で、沖縄には長い歴史の中で戦争や戦後に差別がありました。
年配の方の中には、本土(他府県)から受けた差別的な態度を直接経験していたり、あるいは親から聞かされながら育った人もいます。
そういった苦い思いを抱えている人たちは、時に「ないちゃー」という言葉を、嫌味や批判の意図を込めて使うこともあります。
たとえば戦後、沖縄が米軍統治にあった時代、本土側から「沖縄は遅れている、日本人ではない」といった侮蔑を受けたり、旅行先や進学先で差別的な扱いを受けた人たちは、その体験を心に抱え続けて生きてきました。
そうした経験が染みついているために「どうせあっち(本土)は…」という偏見を持ち、「ないちゃー」と呼ぶ際に、苦い思い出がにじむケースもあるようです。
しかし、どこで暮らしていても同じことが言えます。親切な人もいれば意地悪な人もいます。
これは沖縄と本土に限らず、国籍や人種の違いにもいえることでしょう。大切なのは、過去の差別体験にとらわれ「相手をひとくくりに嫌う」のではなく、個々の人とのコミュニケーションを大事にする意識だと思います。
交流を重ねていけば、いつも野菜をくれたり、仲間として迎え入れてくれる人もいっぱいいます。
「寄留民(きりゅうみん)」という考え方
沖縄では集落ごとの結束や地縁が強く、昔から外部の人を「寄留民(きりゅうみん)」と呼ぶ距離感が存在します。
これは単に「他県から来た人」というだけではなく、「県内の別の島や地域からこの集落へ移ってきた人」「嫁いできた女性」などを指す場合もあります。
私が驚いたのは、すでに50年以上その土地に住んでいる80代の女性が「私は寄留民だから……」と言っていたことです。
「もう半世紀もそこに住んでいるのに、まだ“よそ者”扱いなの?」と驚きましたが、それはご本人が積極的に「私たちと全く同じ」と思えないところがあるのだろうと思います。良い悪いではなく、それが昔から受け継がれてきた地域意識なのかもしれません。
都市部である那覇や中部の繁華街などでは、この「寄留民」という言葉を耳にする機会はほとんどないかもしれませんが、昔からの集落の文化や自治会のつながりが色濃く残っている地域では、今なおこうした感覚を持っている人もいます。
6. 沖縄の地元意識:助け合いと疎外感
沖縄の地元意識は、よい面と悪い面があります。
よい面としては、「ゆいまーる」と呼ばれる助け合いの精神や、地域行事や伝統を大切にしようとする姿勢が挙げられます。
たとえば老人クラブや自治会が主体となり、集落全体で子どもを見守ったり、お年寄りと若い世代が交流する行事を行ったりします。
移住してきた人たちの中には、こうした温かいコミュニティ関係に救われたり、子育てのしやすさを実感したという声も少なくありません。
一方で、頑固な地元意識が強すぎる場合、外部から来た人への偏見や疎外感を生むことにつながりやすいのも事実です。
先述のように「ないちゃー」と呼ぶことで「あなたは私たちと違う人」という線を引く感覚が生まれたり、「寄留民」として常に“外”の立ち位置から見られてしまうこともあります。
もちろん、すべての地域でそうだというわけではありませんし、人によっても態度や考え方は違います。
7. 「ないちゃー」や「外人」と呼ばないようにする意識
私が学生時代に「ないちゃー扱い」を受けて嫌な思いをしたこともあり、いまは自分が相手に対して「ないちゃー」と呼ぶことがないように気をつけています。
これは差別意識の問題にかぎらず、単純に「言われたら嫌な思いをする人がいるのなら避けよう」と考えるからです。
また、海外の方を指して「外人(がいじん)」と呼ばないようにも注意しています。
昔は「外国の人を指す当たり前の言葉」として使われてきたかもしれませんが、今は「外」と「内」で区切る差別的な表現に捉えられる可能性が高いです。
特に国際交流が増えている沖縄では、海外からの観光客や在住者、国際結婚で家族を作っている人も多いため、より配慮が求められます。
8. 移住者と地元の文化・行事
地元意識が強い沖縄では、伝統行事や地域のイベントを盛り上げようとする心が根付いています。エイサーの練習やお祭り、地域の運動会などに力を入れている地域も多いですが、これを「うるさい」「迷惑」と否定する移住者も一部にはいます。
もちろん、法律や条例を超えた大きな音量が長時間続くのであれば改善が必要ですが、
「自分の文化圏にはなかったから興味がないからやめてほしい」という一方的な要求の仕方は、地元の人々の強い反発を招く原因になります。
結果として「ないちゃーがわがまま言っている」という負の感情が生まれ、薄れかけていた差別意識が再燃してしまうことも考えられるでしょう。
さらに、「沖縄の人は〇〇だから」などと、限られた体験だけで沖縄の人たちをひとくくりにして批判する人もいらっしゃいます。
これは逆に、沖縄の人たちが「どうせないちゃーは……」と思ってしまう負の連鎖を生む恐れがあります。互いに「ひとまとめに見て批判し合う」関係性は、せっかくの楽しい交流を遠ざけるだけです。
9. 沖縄で出会う人々のやさしさと厳しさ
実際、私が体験してきた沖縄のコミュニティの多くは、温かい人々に囲まれていました。
地元の野菜や果物を「食べきれないから持っていきなさい」とくれる人、行事の準備や片付けを積極的に手伝ってくれる人など、昔ながらの「ゆいまーる」を大切にしている方が多いのです。
確かに「うちなーんちゅ」に対して強いプライドをもっている人は多いですが、そこには「共同体を守りたい」「みんなで支え合いたい」という想いも含まれています。
ただ、どこに行っても一筋縄ではいかない方はいるものです。自分自身が過去に差別を受けたことから「今度は自分が区別する側になろう」と意識せずにしてしまう人もいます。
そうした人をどう受けとめ、どう対応するかは、個人の人間関係次第かもしれません。しかし、コミュニケーションを重ね、誠意を持って接していくことで、徐々に打ち解けていくケースも多々あります。
10. 漫画「ONE PIECE」に見る差別と記憶
自分が他県出身であれ、沖縄出身であれ、相手をどのように考え、どう接するかは一人ひとりの心がけ次第だと思います。
ここで、私が特に印象深かったのは、人気漫画『ONE PIECE』の63巻に登場する言葉です。魚人島の「タイヨウの海賊団」を率いたフィッシャー・タイガーが、奴隷にされた悲劇を背負いながらこう言います。
「誰でも平和がいいに決まってる! だが、本当に島(魚人島)を変えられるのはコアラのような何も知らねェ次の世代だ。だから頼む! お前らは島には何も伝えるな。おれ達に起きた悲劇を…おれ達の怒りを!!」
このセリフを初めて読んだとき、心にぐっとくるものがあり、タイガーの「自分たちの受けた差別や苦しみを、そのまま次の世代に背負わせない」という決意を感じました。
そんなセリフに私も、沖縄や日本、本土と沖縄の間にも、歴史的経緯から生じた差別感やわだかまりがありますが、その怒りの感情を子どもたちに受け継がせないことが大切ではないか、と強く感じたのです。
差別につながる嫌な記憶が残っても、それを他の人にしない。子どもたちに伝えないことが大切だと思いました。
11. 嫌な思い出を次世代に押しつけないために
私自身、「ないちゃー」と呼ばれて疎外感を覚えたと思う瞬間が、振り返れば何度もありました。しかし、同時に考えたいのは、「自分が嫌な思いをしたなら、今度は自分がその言葉を使わないようにしよう」ということです。
もし相手が不快に思うかもしれないと分かっている表現ならば、違う言い方を選びたい。実際、沖縄には独特の表現がたくさんあり、それを楽しく共有し合う方がずっと建設的だと感じます。
また、自分が過去にされたことを、次の人に繰り返すことはやめようと思います。
嫌だった記憶や、差別的に扱われた気持ちを子どもや後輩に語るときには、「こういう経験があった、辛かった。だからこそ、相手を傷つけない言葉遣いを大事にしたいんだよね」という、前向きな方向に変換して伝えるように心がけています。
12. まとめ
沖縄では「うちなーんちゅ」と「ないちゃー」という言葉が長く使われてきましたが、それは単なる県内・県外の区別を表すだけでなく、歴史や地域意識、そして過去の複雑な経験が投影されている言葉でもあります。
また、県内でも「寄留民(きりゅうみん)」という考え方が残っており、集落ごとの外部との距離感をどう位置づけるかに苦心してきた沖縄の姿が垣間見られます。
悪気なく「あいさつ代わりに使う」という場合もあれば、「疎外や差別をほのめかす」ように受け取る人もいます。
言葉は使う人と受け取る人の関係性や背景によって、そのニュアンスは大きく変化するからです。
だからこそ、相手が不快に思うかもしれない場合や、言われて傷ついてしまったことがあるなら、自分からは使わないように心がける、あるいは相手がどういう気持ちでその言葉を使っているのか、聞いてみる姿勢が大切だと感じます。
– 地元愛が強いのは良いこと。だが、それが強すぎると他者を排除してしまう恐れがある
– 言葉ひとつで相手を傷つけることがあるからこそ、配慮が必要
– 自分が受けた差別を次世代に受け継がせないためにも、嫌な言葉や態度は自分から断ち切りたい
日々の暮らしの中で、沖縄とそれ以外の地域の文化がチャンプルーしながら(混ざり合いながら)新しい沖縄が誕生しているのを感じます。
移住者も、昔からの住民も、互いを知り合い、尊重し合うことで、より豊かなコミュニティが育まれていくのではないでしょうか。私も、たとえ過去に辛い思い出があっても、それを糧に「誰かを排除しない、傷つけない関係づくり」を心がけたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。もしもあなたが「ないちゃー」という言葉に違和感を覚えていたら、「意地悪な意味ばかりではない」かもしれないということも、頭の片隅に入れてみてください。
逆に自分が口にする立場ならば、相手がどう感じるかを気にかけながら接してみると、より円滑なコミュニケーションにつながるはずです。そうやってお互いに歩み寄ることで、沖縄での暮らしがより楽しいものになることを願っています。
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